1947年10月14日、ベルX-1でイェーガーが音速の壁を突破 初のX機
1947年10月14日、米空軍のテストパイロット、チャック・イェーガーがベルX-1ロケット機で人類として初めて音速を超えた。機体は妻の名にちなんで「グラマラス・グレニス」と名付けられ、B-29爆撃機から切り離された後に加速した。前夜に落馬して肋骨を2本折っていたという逸話も伝わる。記事はマッハ1.07(時速約821マイル)としているが、NASAの記録ではマッハ1.06とされており、数値には幅がある点を押さえておきたい。
X-1は当初XS-1と呼ばれた共同計画で、NACA(NASAの前身)と米陸軍航空軍(のちの米空軍)が関わった。ベル・エアクラフト社が1945年3月に製造契約を得て、同年12月に引き渡された。全長は約11メートル弱、翼幅は約8.5メートルで、液体酸素とエチルアルコールを水で薄めた推進剤を用いるロケットエンジンを積んでいた。超音速飛行の前には無動力の滑空試験が行われ、1947年8月にはイェーガー自身が3回操縦している。その後も亜音速の動力飛行で速度を段階的に上げ、本番に至った。飛行結果は直後に最高機密に指定され、外部に漏れたのは同年12月、米空軍が正式に認めたのは1948年3月だったという。
NASAはX-1の意義を、世界初の超音速機であったこと以上に、軍や商業の要求から離れて実験のためだけに作られる研究機という概念を確立した点に見ている。この考え方は、今日まで続くX-planeの系譜の出発点となった。記事で紹介された最新のX-59は、超音速飛行を試しつつソニックブーム(衝撃波による大きな騒音)を抑え、陸上での商業超音速旅客輸送の実用化につなげることを狙う機体である。超音速・高速域の機体開発は、耐熱、構造、推進系といった要素技術の積み重ねの上に成り立つため、研究機の計画が続くことは関連技術への需要の土台になると考えられる。
日本の製造業にとっての要点は、機体本体よりも、試験機を支える周辺技術にあると考えられる。ロケット推進では液体酸素のような極低温の推進剤を扱う配管、バルブ、タンクの信頼性が問われる。高速飛行では機体の強度や耐熱に関わる材料と加工精度が求められ、低騒音化を目指すX-59のような機体では、精密な成形部品や計測機器の重要度が増すとみられる。国内の部品・素材メーカーにとって、耐低温性、軽量性、寸法精度といった要求仕様にどこまで応えられるかが、将来こうした案件に関わる際の判断材料になるだろう。小ロットで多品種に対応できる体制や、試作段階から図面を共有する設計支援も、研究機の開発現場で評価されやすい可能性がある。ただし本記事は1947年の歴史的出来事の紹介であり、国内の具体的な案件や発注動向に触れたものではない。
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