宇宙飛行士が経験する眼の異変。ESAが挑む“宇宙の眼科検査”
欧州宇宙機関(ESA)が、宇宙飛行士の視力低下問題の解決に向け、医療技術開発に本格的に乗り出した。月面探査計画「アルテミス」などの深宇宙ミッションに対応できる検眼装置をコンパクト化し、地上支援なしに使える機器の開発を、英国のスタートアップ企業に委託したのだ。
宇宙飛行に伴う視力低下は「宇宙飛行関連神経眼症候群」(SANS)と呼ばれ、低重力環境での体液分布の変化が原因とされている。低重力下で体液が頭部に集中し、これが眼球を圧迫し視神経を腫れさせることで、網膜が前方へ押し出される。国際宇宙ステーション(ISS)にいる宇宙飛行士の約70%がこの症状を経験しており、米航空宇宙局(NASA)の宇宙飛行士ジョン・フィリップスは、ISS滞在中に視力が20/20(健全眼)から20/100(中等度の視覚障害)に低下した。帰還後は一部が回復する傾向にあるものの、長期ミッションの拡大に伴い、恒久的な視力障害のリスクが高まることをESAと各国の宇宙機関は懸念している。
ESAが開発を委託したSilotonは、量子技術を活用して検眼施設の装置を極小化するスタートアップだ。通常、検眼装置は大型であり、眼の奥にある組織の各層の厚さを測定する際には地上の専門家によるリアルタイムサポートが必要になる。しかし月面や深宇宙への遠隔地では、地球との通信に大きな時間差が生じるため、地上からのリアルタイム支援では対応できなくなる。Silotonは、硬貨より小さい光チップにこうした機能を集約し、検査プロセスの自動化により、宇宙飛行士が独力で網膜スキャンを実施できるシステムを目指している。同社は既に英国の国民保健サービス(NHS)と協力して、網膜疾患患者が自宅でスキャンできる装置も開発中であり、その技術基盤を宇宙用途に応用する形となる。
宇宙環境での実装には多くの課題が残っている。火災リスク回避のためバッテリーを使わない電源方式の検討、宇宙船内の限定されたスペースへの統合、そして無重力下での宇宙飛行士の頭部固定である。通常の検眼では顎台を使って頭部を固定するが、無重力環境ではこの手法が成立しない。とはいえ、Silotonは既に視力が低下した高齢患者向けの製品を開発している実績があり、これらの技術的課題の解決に自信を示している。むしろ訓練を受けた若い宇宙飛行士を対象とした宇宙用装置の開発は、そうした既存製品開発よりも実装が容易だと考えられている。
この開発は、宇宙という極限環境での医療技術革新が、地上での医療機器の改善にも波及することを示す事例である。検眼技術の小型化と自動化は、宇宙飛行士の健康確保に留まらず、高齢社会を迎えた各国での網膜検査システムの高度化にも貢献する可能性がある。日本の精密機器メーカーや光学部品メーカーにとっても、こうした極限環境での医療機器開発は、製品開発や技術応用における新たな市場課題を示唆するものであり、国際的な技術開発競争の中で日本企業の参画機会が広がっていくと考えられる。
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出典:WIRED.jp



